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神武様が行く~御即位の地へ~
2012-10-09
古事記中つ卷 神武天皇 1東征
故ここに宇陀に兄宇迦斯、弟宇迦斯の二人ありき。故、まづ八咫烏を遣はして、二人
に問ひて日ひしく、「今、天つ神の御子幸でましつ。汝等仕へ奉らむや。」といひき。
ここに兄宇迦斯、鳴鏑をもちてその使を待射返しき。故、その鳴鏑の落ちし地を、訶
夫羅前と謂ふ。待ち?たむと云ひて軍を聚めき。然れども軍を得聚めざりしかば、仕
へ奉らむと欺陽りて、大殿を作り、その殿の?に押機を作りて待ちし時に、弟宇迦斯、
まづ參向へて、拜みて曰しけらく、「僕が兄、兄宇迦斯、天つ神の御子の使を射返し、
待ち攻めむとして軍を聚むれども、得聚めざりしかば、殿を作り、その?に押機を張り
て待ち取らむとす。故、參向へて顯はし白しつ。」とまをしき。ここに大伴連等の祖、
道臣命、久米直等の祖、久米命の二人、兄宇迦斯を召びて、罵詈りて云ひけらく、
「汝が作り仕へ奉れる大殿の?には、おれまづ入りて、その仕へ奉らむとする將を明
し白せ。」といひて、すなはち横刀の手上を握り、矛ゆけ矢刺して、追ひ入るる時、
すなはち己が作りし押に打たえて死にき。ここにすなはち控き出して斬り散りき。故、
其地を宇陀の血原と謂ふ。然してその弟宇迦斯が獻りし大饗をば、悉にその御軍に賜
ひき。この時に歌ひけらく、
宇陀の 高城に 鴫罠張る 我が待つや 鴫は障らず いすくはし くぢら障る 
前妻が肴乞はさば 立柧?の 身の無けくを こきしひえね 後妻が 肴乞はさば
?身の多けくを こきだひえね ええ しやごしや こはいのごふぞ。 ああ 
しやごしや こは嘲咲ふぞ。
とうたひき。故、その弟宇迦斯、
其地より幸行でまして、忍坂の大室に到りたまひし時、尾生る土雲八十建、その室に
ありて待ちいなる。故ここに天つ神の御子の命もちて、饗を八十建に賜ひき。ここに
八十建に宛てて、設八十膳を設けて、人毎に刀佩けて、その膳夫等に誨へて曰ひしく、
「歌を聞はば、一時共に斬れ。」といひき。故、その土雲を打たむとすることを明し
て歌ひけらく、
忍坂の 大室屋に 人多に 來入り居り 人多に 入り居りとも みつみつし 
久米の子が 頭椎 石椎もち 撃ちてし止まむ みつみつし 久米の子等が 頭椎
石椎もち 今撃たば良らし
とうたひき。かく歌ひて、刀を抜きて、一時に打ち殺しき。
然て後、登美毘古を撃たむとしたまひし時、歌ひけらく、
みつみつし 久米の子等が 粟生には 韮一莖 そねが莖 そね芽繋ぎて
撃ちてし止まむ
とうたひき。また歌ひけらく、
みつみし 久米の子等が 垣下に 植えし椒 口ひひく 吾は忘れじ
撃ちてし止まむ
とうたひき。また歌ひけらく、
神風の 伊勢の海の 大石に 這ひ廻ろふ 細螺の い這ひ廻り 撃ちてし止まむ
とうたひき。
また兄師木、弟師木を撃ちたまひし時、御軍暫し疲れき。ここに歌ひけらく、
楯並めて 伊那佐の山の 樹の間よも い行きまもらひ 戦へば 吾はや飢ぬ
島つ鳥 鵜養が伴 今助けに来ね
とうたひき。
故ここに邇藝速日命參赴きて、天つ神の御子に白ししく、「天つ神の御子天降りまし
つと聞けり。故、追ひて參降り來つ。」とまをして、すなはち天津瑞を獻りて仕へ奉
りき。故、邇藝速日命、登美毘古が妹、登美夜毘賣を娶して生める子、宇摩志麻遲命。故、かく荒ぶる神等を言向け平和し、伏はぬ人等を退け撥ひて、畝火の白檮原宮
に坐しまして、天の下治らしめしき。
 
9月15日(土)
本日はいよいよ神武天皇御即位の地「橿原神宮」へ。
宮﨑神宮
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