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大東亜戦争中の御神幸祭
2015-10-27
約170名のご参列をいただき、滞りなく斎行致しました。
関係各位に衷心より厚く御礼申し上げます。
 
ほっとするの束の間、今週の土日にはいよいよ御神幸祭(神武さま)が斎行されます。
本年は大東亜戦争終結七十年の節目にあたります。
せっかくですので、当時の様子を掲載致したく存じます。
 
昭和十八年十月二七日の御神幸祭からは決戦型御神幸祭という事になり、従来の三日間を一日で終る慌ただしいおでましとなった。敵の反攻熾烈を極め、時局益々重大の折から、多数の県民を集めて、お祭り騒ぎをすることは好ましくないが、さりとて皇祖神武天皇の御神霊を慰め奉る、唯一の年中行事である御神幸祭を中止することも、神都の民としては忍びないという結論に達し、決戦型御神幸祭ということになったものである。供奉員も非常時に備えて小範囲に止どめ全員日の丸弁当を持参することになった。なお、一日の御神幸祭でも当日の異変次第では中止となり、内宮祭をとどめるということになった。また神賑奉納、芸妓の屋台及び区会別の奉納余興は一切中止。絢爛華麗を誇った秋の大祭も、決戦型に切りかえられたのである。
なお急速な物資の不足から神饌の弁備もままならぬ状況となり、実際にお供えもしないのに、従来通りの祝詞を奏上する結果となるので、祝詞文の改正を提案することとなった、との談話が当時の新聞に載っていた。
昭和十九年六月北九州市に初の爆撃があり、次第に苛烈の度合を深め、二十年三月には宮崎市が初空襲を受け、八月十一日、十二日の空襲で全市は焼けに焼けて、焼土と化した。
 
昭和二十年八月十五日遂に終戦となった。敗戦という未曾有の出来事と、食うに糧なく住むに家なき祖國に続々と海外から人々は引きあげてきた。混乱と無秩序が支配する中で、飢餓線上をさまよい方途に迷ったのである。しかし生きねばならなかった。祖國を再建せねばならなかった。そして、その復興のバロメータとなったものが宮崎神宮の御神幸祭であった。
(『神武さま』より)
ちなみに昭和19年は御神幸空襲警報のため橘公園より引き返しており、
昭和20年は終戦のため御神幸祭中止となっていますが、昭和21年には
再び斎行されています。
 
如何なる状況においても、神武さまにお出ましいただきたいという県民の熱意が
伝わってくるようです。
この姿こそが、「イベント」ではなく「祭」なのだと感じました。
 
皆様の御陰をもちまして、時代と共に変遷しながら受け継がれてきた御神幸祭。
真の意味を決して忘れることなく、次の世代へと伝えていければと思います。
宮崎神宮
〒880-0053
宮崎県宮崎市神宮2丁目4-1
TEL.0985-27-4004
FAX.0985-27-4030
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