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紀元節制定のこころ
2016-02-11
宮崎神宮旧社報「美あかし」昭和13年2月1日発行より
紀元節は明治初年明治の新政府によって、新しく制定せられたるものである。当時の我が思想界は、慶喜の大政奉還の後をうけて、混沌たる状態で、政府は神ながらの大道を標榜し、その宣教運動によって国民精神の統一を企てたのであった。国家的大祝日である紀元節は、実にその温床に芽ぐみ、実を結んだのである。
明治二年、刑法権判事津田眞一郎が、神武天皇御即位の年を紀元元年として、永世積算すべし、と建議したのが最初で、翌三年左院制度局小史横山由淸又神武紀元を定むべき事を建議したのである。かくて、明治五年十一月十五日、太政官布告を以て、神武天皇御即位を以て紀元と定め、一月二十九日は天皇御即位日に相当するを以て、祝日と定むと、仰出されたのである。次で翌六年一月四日、更に太政官布告を以て、人日(正月七日)、上巳(三月三日)、端午(五月五日)、七夕(七月七日)、重陽(九月九日)の五節を廃し、神武天皇御即位日と、之より先定めたる天長節との両日を祝日と定むと、仰出されたのである。更に同年三月七日、又太政官布告を以て、神武天皇即位日を、紀元節と称す、と仰せ出されたのである。かくの如くして、この名称は定ったのであるが、太陽暦採用の結果二月十一日を以て紀元節と定められ、明治七年以降永く変る事なく、今日に及んだのである。
この紀元節制定の事に依って明かなる如く、当時の政府の大方針が、建武中興や、大化改新より更にさかのぼって、神武創業に置かれたる事に大なる意義を見出すのである。
天皇皇都御経営の詔に「六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩ひて宇(いえ)と為(せ)む」と大理想を力強く仰出されて居るのである。この御精神を体したるを以て、維新以後の我が国の大発展がなされたものと考える。
紀元節制定の往時を回顧すると共に、時局の認識を一層深め、我が国の使命に向って、一段と努力せねばならない。

建国より2676年。
今日は多数お参りいただき、国の弥栄をお祈りしていただきたいと存じます。
宮崎神宮
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