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ブログ

「もの」を大切にする心
2016-07-31
宮崎神宮旧社報「美あかし」昭和13年7月1日発行より

物資総動員。一枚の紙、一片の布も粗末にしてはならないと今や国民全体が緊張した。戦争の生んだ結果の一つだ。

しかし、一枚の紙、一片の布も粗末に出来ないという、粗末にしては相済まないという気持、又その本当の意味が国民全体に透徹しなければ、一朝戦争の済んだ時には、みんなこの緊張を忘れて了うだろう。それであってはならない。
物資を尊重し、愛する気持の根底に自己、自我が動いていては駄目だ。自分の為というのではどうしても徹底しない。小さな一個の欲望或は、財欲の為であったならば、一枚の紙や一片の布切はどうでもよくなるではないか。

これらの物は何処から授かって来るか、誰のものであるか、われらは大所高所よりこれを考え、これを達観せねばならぬ。

先ずこれを横の関係に於て考えると、凡そわれらの周囲にある程の「もの」は、ことごとく外界から得て来た「もの」だ。人間の作ったものもあろうし、動植物その他自然から得たものもある。人間の約束による代償と称するものを支払っているか或は何等か別の関係によって得たかの別はあるが、それは唯ほんの一つの手段に過ぎず、結極はこの社会この自然から与えられ、又お借りしているに過ぎないのだ。

次にこれを縦の関係に於て考えて見ても、それらは一つとして自分或は自己の時代だけによって作り出したものとてはない。自分の祖先から伝えられたものであるか、民族の祖先から伝与されたものであるか、乃至は民族の祖先の智、祖先の学問の上に出現して来たものであるかいづれかである。
一片の紙、一粒の米粟、凡そ一品一物としてこのいづれかに無関係にわれに与えられたものとてはない。これを思いこれを考える時、われらはどの様な些細なものを粗略に扱うことは出来ない。
われらはこれを思い、これを念じつつ、物資の徹底的愛護、節約をなさねばならぬ。これを軽んずる様な事があっては世間に対しても祖先に対しても誠に相済まぬことである。資源愛護物資節約の本当の精神はここにあると思う。
 
 
昨日、車のお祓いに来られた方がいらっしゃいました。
多くの方は新車を購入した際に、お清めと交通安全を祈られますが、
その方は廃車するにあたって、今までの感謝の気持ちを込めてお祓いしてほしい
とのことでした。
私が宮崎神宮に奉仕してより十数年になりますが、今回のようなご祈願は
記憶にございませんでした。
 
戦時中とは違い、物が溢れかえっている現在ですが、ものに対する感謝の心は
如何なる時においても忘れずにありたいものですね。
宮崎神宮
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