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ブログ

2018-02-18
やや寒い日が続くものの、立春を過ぎ春の訪れを少しずつ感じるようになりました。
 
 
社務所前の梅は見頃を迎えています。
 
さて、そんな中の去る2月11日、紀元祭が約170名の参列のもと厳粛裡に
斎行されました。
御陰をもちまして、建国より2678年の佳節を皆様と共にお祝いし、祭儀を
滞りなく斎行することができました。
 
ところで紀元節の詳細をご存じでしょうか???
せっかくの機会ですので、是非ご一読いただければと思います。
紀元節の制定
明治五年十一月太陽暦が採用されることになり、明治五年十二月三日を以て明治六年一月一日となすことが布告された。これと関連して、神武天皇が橿原宮に即位された辛酉の年を以て紀元元年とし、即位の日一月二十九日を祝日と定めて祭典を行うことが決定された(十一月十五日)。そして二十五日にはこの決定の奉告祭が神武天皇の神前において行われた。明治六年一月二十九日には先の決定に従って神武天皇即位日の祝典が行われ、祭儀の後、皇族・大臣・参議以下群臣に祝宴を賜わった。さらに三月七日にはこの日を紀元節と呼ぶことが定められた。
明治七年には祭日の再確定があり、二月十一日を御即位の日とし、この日を紀元節として祝うこととなった。以後この日は国家国民の大節として定着し、戦後一時占領の影響で中断したが建国記念の日として復活し今日に及んでいる。明治二十一年には唱歌「紀元節」(高崎正風作詞、伊沢修二作曲)も作られて民間に普及し、国民の祝意をたかめるのに大きな役割を果たした。
 
紀元節の復活
昭和二十六年九月八日、日本はサンフランシスコに於いて米国をはじめ四十八ヶ国と講和条約を結んだ。そして翌二十七年四月二十八日にはこの講和条約が発効、七年にわたる連合国軍の占領から解除されて晴れて独立の日を迎えた。神武天皇を御祭神と仰ぐ宮崎神宮にとって、独立が回復すると共に、先ずどうしても実現してほしいことは昭和二十三年に廃止された国の祝日「紀元節」の復活であった。全国で紀元節復活の運動は以後、熱心に展開されることになるが、宮崎に於いても独立を契機としてこの運動が大いに盛り上がったのも、当然といえば当然であった。
いよいよ昭和二十七年の春には独立が回復されると決定していた二十七年の正月には、宮崎神宮の社頭で紀元節制定の請願署名運動を行い初詣の参拝者たちは列をつくってこの署名簿に名を記し、神社関係者を感激させた。これらの署名者名簿は宮崎県神社庁を経由して東京へ提出されたが、これを機会に神宮は紀元節への関心を持って貰いたいと、その運動を前進させる為に全力を投入することになった。神社では議会にことあるごとに紀元節復活を主張しつづけ、また、社頭での請願署名を集めては送り続けてきた。昭和二十九年頃から、県内各神社も協力してくれるような体制となり、余り好意的な立場からとは言えないにしても、新聞社などもこの問題に関する取材活動なども年々活発化するようになってきた。
下って昭和三十二年一月二十三日、神社当局は市内の有識者たちとも相談、二十五日には県社会教育課や宮崎市役所などへも出向き、また県内各地とも協議連絡して、来る二月十一日の紀元節祭を機会に、その法制化運動を県民こぞっての運動として盛り上げて行こうとの話し合いをまとめた。
かくて三十二年の紀元節は責任役員、総代、神社関係者など多数参列のもと、例年にも増して厳かに斎行され、続いて盛大な奉祝大会がおこなわれた。大前で行われたこの奉祝大会には五百名もの人々が参列、席上この大会を紀元節復活宮崎県期成同盟会として発足させることが決められ、会長には藤井満義県会議長が選出された。一行はその後、宮崎県護国神社に参拝の後、ブラスバンドを先頭に宮崎市内を日の丸パレードして、宮崎市民に紀元節復活を呼び掛けた。実にこれが、宮崎での復活のための啓蒙運動のスタートとなった。
この紀元節祭の日に行われる奉祝大会は年々盛会となり、参加者も二千名を越えるようになっていった。神武建国を祝うとともに、その記念日である紀元節の法制化をぜひとも実現したいという声は年々大きくなり、この運動はまた全国へもひろまっていった。この紀元節復活の運動の経過は、宮崎神宮にとっては極めて重要な問題であるが、その全国的展開については、すでに良書も出されているのでここでは触れない。ただ紀元節の復活を通し、同じく神武天皇を御祭神とする橿原神宮との縁で、宮崎市と奈良県橿原市との間で、姉妹都市宣言なども結ばれた(四十一年二月十一日)というようなエピソードをここでは紹介しておこう。昭和四十一年の二月と言えば、この紀元節の運動が大きな盛り上がりの上に、いまやまさに法制化への機運をはらんだ時機であった。両市の盛り上がりは大変なものであった。
宮崎神宮が心から待ち望んでいた紀元節はついに昭和四十一年十月八日、建国記念の日審議会が「建国記念の日」を二月十一日とすることを政府に答申、翌九日、政令をもって公布され、ここに復活を見たわけである。宮崎神宮をはじめ関係者は大変なよろこびようで雀踊りした。長年にわたる努力がやっとむくいられたのである。宮崎神宮では早速、この日の午前十時から建国記念の日制定奉告祭を斎行、協力した多くの人が昇殿参拝をした。宮崎神宮では法制化に尽力した各地の人びと、橿原市長、橿原神宮、地元国会議員あてに祝電をうった。また橿原市長からもつぎのような祝電が神宮宛に届けられた。
「ツイニ、キゲンセツフツカツシ、カンゲキノナミダトドメナクナガレル、コンニチマデノゼツダイナル、ゴエンジョ、カンシヤニタエズ」
「神武天皇論 宮崎神宮史」昭和五十九年十月二十六日 第一版発行より
 
国民が等しくて神武創業のご偉業を仰ぎ奉ると共に、我が国の大基である紀元節の
復活にご尽力された先人達に、さらにはこの国に生まれ、生かしていただいている
ことに感謝する日であってほしいと願うばかりであります。
 
その恩を忘れることなく、世の為人の為、ひいては国の為に各々の立場で少しでも
恩返しをしていただくことが日本の繁栄に繋がるものと信じて止みません。
 
結びに皇室の弥栄と国家国民の平安はもとより、世界の平和をご祈念申し上げます。
 
 
奉納 岩切天掃氏 平成30年2月11日
宮﨑神宮
〒880-0053
宮崎県宮崎市神宮2丁目4-1
TEL.0985-27-4004
FAX.0985-27-4030
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