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4月献詠短歌
2013-04-30
平成25年4月の献詠短歌会優秀作品です。
(選者 堀家洋子)

兼題「学校・学舎」
 
「天」
 歌ひ継ぐ「ああ爽やかな学び舎に」小学校歌をわすれず老いぬ   倉敷市 萩原 節子
 
(評)無理なく母校の校歌を口ずさむ作者だろう。「ああ爽やかな学び舎に」の歌詞が一首にうまく挿入できてリズミカルに纏めた。老いてなお少年のような心を持ち続ける人柄が見えてくる。
 
「地」
 畦道に芹摘みをれば小学校の終了チャイム遠く聞こえ来   宮崎市 友枝 清子
 
(評)春の野は自然の食材の恵みが次ぎつぎで、うれしい季節。七草粥に使う芹も香りと瑞々しさがいい。芹摘みに夢中になっている作者に下校を知らせるチャイムが聞えてきたという雰囲気が絵本か映像の一齣のように読者に伝わる。結句の「聞こえくる」は字余りの連体止よりも「聞こえ来」と止めたい。
 
「人」
 学舎の広場にたてば遠き日の恩師や友が駆け巡り来る   宮崎市 川口 末子
 
(評)母校の広場に立ち寄る機会を得た作者は何十年も前の、自分の少女時代が蘇えってきて、懐かしさに胸をあつくしたのだろう。先生方が友達が走馬灯のように思い出されたという心情。結句の「駆け巡り来る」の表現に賛否あるかと読み直してみたが、一首の中に納まっているので良しとした。
            
「秀逸」 
 廃校となりたる山の学び舎に最後の板書そのまま残れり  宮崎市 須田 明典
 
(評)県内でも僻地の過疎化と少子化に、学校の廃校が進み、学校の長い歴史も伝統も消えてゆくことをニュースなどで聞くと寂しく思う。「最後の板書そのままり」に無念さ、寂しさを訴える力を感じる。母校なのか?訊ねた山の学校であるのか?そのあたりの表現があれば更に良いのだが。
 
「秀逸」
 教壇に立ちし若き日遠くなり学校名もいつしか変はる   倉敷市 萩原 紫文
 
(評)四月の題詠に、教師として勤めた若い日々を思い出すことに遭遇した作者を思った。遠い日として色褪せていく勤務校も気づいてみれば学校名も変ってしまっているという現実に思い出を辿ったのだろう。
 
「佳作」
 学校の門をくぐりてなつかしき娘より孫へ時は移りて   宮崎市 梅﨑まゆみ
 
(評)ご自分の母校に娘も孫も繋がったという喜びの心情を詠んでいると思う。多分孫の入学式に同行した日の思いだと思う。上の句の「学校の門をくぐりてなつかしい」と心情を表出して、娘が学び、また孫が私と同じ学校に学ぶとは幸せなことだと詠んでいる。「時は移りて」もしっかり効いている。
 
「佳作」
 五年間汽車通学せし宮高女今日のわれを育てくれしも   田野町 上野千代子
 
(評)戦前戦中の女学校時代を学んだ作者。厳しい規則の中にも誇り高く学んだことを懐かしみ、でもあの五年間が今の私をはぐくんでくれたのだと自信を持ってふりかえっていて潔い。
            
「佳作」
 学舎を去りて六十年ともかくも元気でいようと別れきたりぬ    宮崎市 小池 洋子
 
(評)歌の内容から、高齢者となってもお元気な作者、そして同窓会かクラスに出席し懐かしい再会を果たした日の様子・・・・読者によく伝わって簡潔にまとめているのがいい。「ともかくも元気でいよう」という当たり前なような言葉を使ってうまく表現している。
 
 
一口メモ
高齢者にとって自分が学んだ学校や学び舎は、遠い過去すぎたかもしれない。同じ題で歌を詠もうとすると、記憶も蘇えるし、それぞれの思い出が風景が様々な角度で作品になると思います。友の歌を鑑賞するのも楽しく、内容に共感することも多いと思います。それが題詠の魅力かもしれません。是非紙面の歌に触発されて新たな歌が生まれますように祈ります。
 
選者詠 変革の戦後の学び舎に絆ふかくわれらのクラス会今につながる
 
※5月兼題は「旅」です。
興味のある方は、宮崎神宮社務所までご連絡下さい。
 
宮﨑神宮
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宮崎県宮崎市神宮2丁目4-1
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