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献詠短歌会

宮﨑神宮の献詠が最初に募集されたのは昭和16年3月からです。
この年、日本は米英両国に対して宣戦布告し、海軍はハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊に壊滅的打撃を与え、陸軍はマレー半島に上陸赫々たる戦果を挙げつつあった頃であります。初戦に勝って大いに戦意昂揚していた時代でした。
 
それだけに献詠の応募者は、遠く朝鮮、満州等に及び、近くは福岡、熊本等に及んだのでありました。
選者も当初は、國學院大學教授武田祐吉博士であり、その後は更に武島羽衣、木俣修、岡野弘彦氏等々、の指導を受けたのでありました。特に木俣修氏は北原白秋の門下生で、宮柊二と共に双璧と称せられる歌人でした。
戦後の何年間かは、短歌献詠の事が行われてなかったのではないかと考えられます。それを片岡常男宮司の時に復活され、現在に至ります。定められた兼題に毎月応募いただき、選者がその選にあたります。尚、現在の選者は小池洋子氏で、会員は約60名おり入選された作品は社報「養正」に掲載します。
 
※ハガキに一首と氏名、住所、電話番号を明記の上、宮﨑神宮社務所までお送りください。
 ※毎月5日締切
 ※選考結果は毎月末に応募者宛にお送り致します。
 
入会希望、興味のある方は、ご連絡下さい。
 
問合先 宮﨑神宮社務所 担当 須田 (0985)27-4004
 
※令和6年兼題

1月 夢

2月 道

3月 山

4月 師

5月 牛

6月 坂

7月 根

8月 風

9月 みかん

10月 旅

11月 種

12月 書

※令和5年優秀作品(「天」のみ)

1月「暮」宮崎市 河野 公俊
年の暮寒き朝より氏子等が笑いながらにしめ縄を綯ふ
(評)氏子の方が寄り合って和やかに年に一度のしめ縄をなわれる様が目に浮かぶ。それぞれの人が自負を持ってこれに携わっているのだ。具体的でよくわかる良い歌。

2月「餅」豊島区 野田 香織
一升餅せおひて歩めずハイハイのをさなに大人ら拍手をおくる
(評)一歳の誕生日に餅を背負わせて歩めば生涯食に困らない等と聞いたものだ。何のことか分からない幼子はハイハイをしていると、周りが喜ぶのでさらににこにこしている事だろう。楽しい雰囲気の溢れた歌で、言葉が精選され見事である

3月「風」宮崎市 本部 雅裕
霜降りて「せんぎり風」の吹く畑に大根を干す農婦笑みたり
(評)〇〇颪が吹くと千切り棚が白く輝く。絵を見る様な牧歌的光景にほっとする。結句は 農夫婦の笑む でもよさそう。

4月「竹」宮崎市 黒木 雅裕
侍ジャパン破竹の勢いそのままに激戦制し頂点に立つ
(評)情景がそのまま一首を貫いている。読者にあの感激がよみがえる。「破竹の勢い」・・ニュースでもこの言葉を口にした人はいなかった。

5月「草」宮崎市 河野 公俊
大葉子の茎からませて勝負した下校の道の進まぬあの頃
(評)オオバコではいろんな遊び方がある。その一つをあげ下句で道草した様を述べている。「下校に道も進まず」とは整理し、吟味された表現だ。「道も」は「の」が良い。

6月「虫」宮崎市 濱田眞理子
成人式も結婚式も覚えゐるピンクの振袖虫干ししをり
(評)振袖が自分の大事な時のことを覚えてくれているのだと、振袖に対する愛おしさを詠んである。「ピンク」と簡潔に述べてあるが、ピンク地に綺麗な模様があるのが浮かぶ。

7月「雨」宮崎市 黒木和貴子
俄か雨に急ぎて傘をさしやりぬ牡丹の花のひとつ紅
(評)ほのぼのとした歌。なよなよとした花弁でも牡丹は華やか、紅の花が一つ咲いた。愛でる気持ちが一首を貫いている。下句の表現は見事。

8月「魚」宮崎市 本部 雅裕
帰省ごと母の作りし鰹漬け今はその味妻の受け継ぐ
(評)姑から嫁へと伝わる家庭の味やしきたりを取り上げ母上への敬いの気持ちも出ている。「妻に伝わる」より「妻の受け継ぐ」のほうが、妻の積極性がでると思うが?

9月「盆」西都市  牧  忍
迎え火を二人で焚た夕暮れは今年もさびしい盆となりたり
(評)穏やかな詠みぶりの中に心情があふれている。「夕暮れは」を主格にした構成で詠みあげたのはすごい。

10月「彼岸・秋分」豊島区 野田 香織
この釘を打ちてしまへばもふ父は彼岸へゆけり石にぎりしむ
(評)以前の棺は釘を打ったものだ、最後の釘は喪主が打ったのを覚えている。いよいよお別れの気持が「石にぎりしむ」に出ており心引かれる。

11月「実」宮崎市 濱田眞理子
秋晴れに飛びゆく一機見上げたり孫と歩きし実り田の道
(評)秋の情景が不足なく詠われており祖母としての喜びも読みとれる。

12月「歩」宮崎市 須田 明典
灯されし参道歩けば閉殿の太鼓の音の低く響けり                            
(評)快いリズムをかもしており、参道の夕べの様子が厳かに伝わる。




※令和3年優秀作品(「天」のみ)

1月「便」 宮崎市 鐘ヶ江和貴
学生時の現金封筒うれしかりき便箋一枚の父の便りは
(評)簡潔な父よりの便り・・作者が学生時代の父との交流が伝わって来て、年老いた今ふと回想した父の面影なのだろう。月々の仕送りは直ぐに役立つ現金書留めが有難かったもので私も懐かしく思い出してしまった。無駄なく心情が一首に詠まれている。
 
2月「椿」 宮崎市 黒木和貴子
あかつきの椿岬に夫と立ち日の出待ちにき遥かなりし日
(評)明け方の椿岬に夫と立ち尽くし日の出の瞬間を見て感動した記憶が蘇って来た。それは随分前の事で「あの頃はまだ若かったなあ」と回想してゐる作者の思いが、無駄なく纏められた叙景歌である。今なおご円満な夫婦像をお察しします。
 
3月「友」 宮崎市 桑原 淑子
友禅の絵付師になる夢捨てきれず桜蘂ふる京に降り立つ
(評 若い頃、友禅の絵付師になりたいという夢を希望を諦め切れず京都へ旅立ったことを今しみじみと振り返っている作者。無駄な言葉がなく、作者の一途だった青春の日が伝わってくる一首である。その後の作者の自分史が聞きたくなるけど、夢に向かって一途だった青春の日々を回想して、悔いのない作者が伝わってくる。
 
4月「菫」 宮崎市 鐘ヶ江和貴
春浅き野に愛らしき野菫を()けつつ母と野芹摘みにき
(評)母君も作者もお若い頃の思い出から生まれた一首だろう。初句の「春浅き」の詠みだしが効いて、母が登場して、深まりのある作品になったと思う。「愛らしき」では出すぎですから削除。代わりに「むらさきの」と入れたいと思います。
 
5月「空」 宮崎市 小松 京子
迎え火を焚き終へしとき西空を飛行機雲がながくのびゆく
(評)身近な方の初盆に迎かえ火を焚く作者でしょう。ふと気づいたら、西空に白く飛行機雲が見える。それは魂が昇天する足跡のように見てしまった瞬時だったのです。一首を読んで、無理がなく、状況や情景がうまく纏められた一首になっている。
  
6月「紫陽花」 倉敷市 萩原 節子
ワクチンの接種を終えて紫陽花の色増す庭に父は佇む
(評)高齢者からまづ始まったコロナのワクチン接種です。接種を済まされたお父様が気になり様子を見守っている作者です。色づく紫陽花の庭に佇むお父様を見守る作者が髣髴としてきます。今を盛りの紫陽花がうまく詠み込まれています。
 
7月「藍」 宮崎市 濱田眞理子
藍染めのコースター使ひ思ひ出づ息子と行きし春の徳島
 (評)コースターは来客のときによく使うが、そんなふとした時に息子と徳島へ旅行した日の事が懐かしく甦る作者である。その時の旅記念に気に入って買ったコースターを想像させて、作者の若かりし幸せな頃を想像させてくれる。 
 
8月「渚」 日南市 黒岩 昭彦
夕焼けに染まる渚に大波を求めしサーファー海へ漕ぎだす
(評)上の句のフレーズが夕暮れてゆく海辺に出会った風景をすっきりと詠んでいて、たくましい若者たちが見えるようだ。私たちの遊んだ頃の海にはなかった風景をまじかに見てどんな気持ちで見送った作者だろうと想像した。
 
9月「絵」 宮崎市 濱田眞理子
わが部屋のベネチアの絵に思ひ出づゴンドラに巡りし水の都を
(評)作者は水の都と呼ばれるイタリアへ旅をされて、ゴンドラで観光旅行されたのだろう。現地で購入された風景絵画を見ては思い出を辿る作者である。読者にも羨ましさのなかに、風景を想像させてくれる一首である。
 
10月「秋桜」 宮崎市 黒木和貴子
秋桜の百万本の花の中童ひそむや「もういいよ」の声
(評)宮崎の暑さ厳しい夏が過ぎて、コスモスの開花の知らせに秋の訪れを実感する私たち。この歌に生駒高原のコスモスの情景が蘇って来た。「もういいよ」の声に咲きそろったコスモス園を行きゆく若い家族連れの様子が一首になっている
 
11月「石蕗」 宮崎市 黒木和貴子
車椅子の母に寄り添ひ眺めにき石蕗咲けど彼の日帰らず
(評)母の車椅子を押しながら病院へ、買い物に或いは散歩にと過ぎた日々のあった作者である。石蕗の咲く季節になると、車椅子を押して共に眺めて会話した一こまが蘇ってくると言うのだろう。花にかがまりながら、石蕗に亡き母を恋ふ思いが伝わる。
  
12月「街」 日南市 黒岩 昭彦
クリスマスキャロル流れる街角に募金をつのる子らの声する
(評)老いのせいか年末のデパートや橘通りにも行かぬままの迎春となりそうな私。これではいけない・・・と思う今日この頃です。作者は年末の橘通りに募金を呼びかける子らに応じながら、年末の街を実感している幸せを一首に込めた

※令和2年優秀作品(「天」のみ)

1月「祈」 宮崎市 黒木ふさを
初日差す鎮守の宮に笛太鼓調べにつつまれ深く祈れり                       
(評)今年のお正月は暖かく、晴れ渡る青空もすがすがしい初詣でした。裏参道の杜をゆくとき、笛太鼓の音が聞こえてくるのですが、この歌も笛太鼓の音にすがすがしい元旦に祈りを捧げた想いが詠まれている。
 
2月「冷」 宮崎市 小松 京子
帰りゆく子等を見送る坂道の辻の杜より吹く風冷たし 
(評)一首を通して読むと、「また来るね」・・と手を振りながら帰って行く子供たちが見えて来るような一首である。きっと遊びに来た孫たちが帰っていく、それを見送る祖母との夕方の景であろう。日暮れには寒くなる宮崎の夕方が髣髴として整った一首である。 
 
3月「蕾」 宮崎市 中光 郁惠
鵯とメジロ交互に来たる朝の庭沈丁花の蕾ひそとふくらむ
(評)素直に表現した上の句に写生の効果が出ていて、朝の庭が見えるようだ。どこからか沈丁花の香りが春を知らせている庭の臨場感があり、「やっぱりもう春だ!」と作者の声が届きそうな一首。
 
 4月「箱」 宮崎市 黒木 和子
幼き日ともに遊びし箱崎の従兄弟汝は逝く花の盛りに
(評) 従兄弟がよく面倒見てくれた頃を思い出しての一首である。早く逝ってしまった従兄弟への思いが伝わってくる追悼歌である。遊んでくれた従兄弟も学業を終えてからは箱崎に定住となったのだろう。リズムよく回想の一首になっている。
 
5月「鳥」 宮崎市 和田 洋子
籠りがちの子らを連れ出す野の小道思ひもかけぬ鶯の鳴く
(評) この春はコロナウイルス感染を怖れて子供たちへの感染蔓延を避け、学校が二週間も休校。子供たちもその親御さん方もリズムが狂って大変だったと思う。籠りがちな子どもたちを自然のなかに誘った恵まれた環境から生まれた歌。
 
6月「傘」 熊本市 福田美恵子
くるくると傘まわしつつ帰りたり雨の上がりし川沿いの道
(評) 作者が小学生の頃だろう。ありし日の経験を思い出に詠んだ上の句が読者にも共感を誘って実感が重なるような作品である。「そんな日があったなあ」と独り言がでてしまいそう。雨あがりの川沿いの道を追想して思い出を作品にした作者である。
 
 7月「青」 宮崎市 本部 雅裕
鵜戸﨑の青波寄する沖合ひに赤き(ふなばた)カーフェリーの()
 (評) この一首、幾度か声にして読んでみた。鵜戸崎とは鵜戸神宮あたりだろうか。
作者は鵜戸の海を航くカーフエリーをタイミングよく発見したのだろう。
「青波寄する」「赤き舷」が一首を鮮やかに再現してくれたと思う。
 
8月「祭」 宮崎市 黒木和貴子
子の担ぐ神輿待ちしはこのあたり祭りなき(もり)ひぐらしの鳴く
 (評) 歳年の季節を彩る祭りが中止になったことはあるのだろうか。戦時中は祈願祭として形を変えたような記憶が蘇るが、今年は思いもよらぬ疫病「コロナ」のせいで人が集まる行事は中止になっている。通りに子の担ぐ神輿を待った祭りを回想して寂しい作者である。
 
9月「雲」 宮崎市 濱田眞理子
音たててドクターヘリは飛びゆけり夏雲広がる東の空を
(評)急患が運ばれる場面に遭遇した作者である。緊張感のなかにヘリコプターを見送った場面がよく伝わってくる。素直に無理なく一首に詠んでいると思う。結句の「夏空広がる東の空を」に立ち会った人たちの不安と託した気持ちがうまく表現できた一首である。
 
10月「柿」 寒川町 寺原 聖山
亡き祖父母初孫記念に植ゑし柿時過ぎゆくも秋を彩る
(評)誕生記念、入学や卒業記念によく植えられる柿でもあるが、朱の鮮やかに熟れた庭の柿に、小さい時から可愛がってもらった祖父母が蘇るのである。この季節柿を捥ぎながら、皮を剥きながら、今は亡き祖父母を思いだす作者である。
 
11月「星」 宮崎市 小池 洋子
山深き米良の神楽の夜更けて眼をさすばかりの星の輝き
 (評) 県内でも神楽と言えば日の影か米良が有名で、伝統芸能、文化財として保存にも力をいれている。伝統を守り遺すということは地元の先輩から後輩へと伝承されていく賜物であるが、野外の観客にとって見上げる星の輝きも忘れられない体験である。結句は「星の輝く」「星輝けり」としっかり止める表現にしたい。
 
12月「帰」 宮崎市 桑原 淑子
定刻の父の帰宅にあつあつの飫肥天揚げて母は待ちゐき
(評)勤め先によっては帰りの時間が不規則な父親も多いが、作者の父親は定刻に帰宅の務め人であった。帰宅時間が決まっていると、夕食の準備も時間が決まってくる。
「あつあつの飫肥天」がおいしそうにその食卓が雰囲気が一首から伝わってくる。
 

※平成31年/令和元年優秀作品(「天」のみ)

1月「生」 宮崎市 川口 末子
天からの両親(おや)兄姉のたましひが「強く生きよ」われを励ます
(評)父母も兄姉も早く逝き取り残された哀しみに暮れた作者であるが、今では目に見えない形で両親や兄姉が見守って応援してくれていると思い生きる作者である。人生プラス思考になって生きる方が絶対幸せと信じたい。結句の敬語は不要。結句が大事です。
 
2月「窓」 宮崎市 中光 郁惠
まつすぐに朝日差しこむ向ひ家の窓は一瞬ステンドグラスに
(評)冬の朝日が隣の窓に射してきらきらと、それはまるでステンドグラスを思わせる
と感動して目を留めている作者です。自然が織り成す反応の景をリズムよく詠んでいます。「一瞬ステンドグラスに」と断定しているがさぞ美しかったのでしょう。
 
3月「指」  宮崎市 黒木和貴子
針箱に遺る指貫こよひ嵌め母を恋ひつつ子の手提げ縫ふ
(評)手提げを縫いながら、小学校の頃母が私にも縫ってくれたなあ・・と思い出す作
者。母との遠い一こまが蘇って来たのである。「針箱」「指貫」そして「手提げ」という言葉に誰もが遠くなった時代を、その頃の母を思い出し共感を呼ぶ作品。
 
4月「フェニックス」  宮崎市 和田 洋子
「フェニックスハネムーン」の歌くちずさむ峠の茶屋の高木仰ぎて
 (評)結句の高木はフエニックスであるが、ちょっと違和感がある。「木の下蔭に」で充分かと思う。デュークエイセスのヒット曲は今でも宮崎を歌う名曲と思う。少し若返った気持ちになるし、宮崎の景色を誇らしく思う作者だろう。
 
5月「緑」  宮崎市 友枝 清子
穏やかな「令和」の日々をと祈りたり緑の若葉の神宮御社に
(評)新しく迎えた令和の時代が平穏に過ぎます様に・・・という思いは改元のときを共有した誰もが抱いたし、改元により良い時代をと願ったでしょう。新緑の眩しいこの季節の神宮みやしろに祈りを籠めたのは作者のみならず、その思いを代弁した一首である。
 
6月「田」 宮崎市 川口 末子
水張田に青年ひとり田植機を操作する背に小糠雨ふる
(評)現代の田植えの風景が一幅の絵のように浮かんでくる。機械化がすすみ田植えの風景は昔と変わってしまった。この歌は早朝に機械を動かし、田植えが済んでしまうのだろう。この青年は他の職業を持つのかも。「操作する背に小糠雨ふる」がいい。
 
7月「予報」 宮崎市 梅﨑 辰實
梅雨さなか線状降雨帯に予報官「命を守る行動を」という
(評)じめじめした雨でもなく、気温も低めの今年の梅雨只中ですが、油断はなりませぬ。今風の「線状降雨帯」とか「予報官」とかいう言葉を生かして、切迫感のある一首に詠んでいて気象状況に関心を!とすっきりと訴えている。 
 
8月「サラダ」  宮崎市 黒木和貴子
ふるさとの畑に育ちし紅あかり夕餉の一品ポテトサラダに
(評)「紅あかり」は皮が紅色の馬鈴薯で、わが家でも家庭菜園で植えたことがある。期待の中身は普通のジャガイモだったことをこの一首に懐かしく思い出した。ふるさとから送ってきた紅あかりだけに一味ちがった夕餉の団欒になったのでは・・・と思った。
 
9月「月」  宮崎市 右松多恵子
十五夜の月の光にてらされてこの身の穢(けが)れ浄めんと願う
(評)今夜は十五夜です。きびしい暑さも治まって秋の季節にはいるのでしょう。十五夜の月を仰ぎ、自分を曝してリフレッシュしよう・・・というのでしょう。自分だけのロマンを表現しています。穢れまでは言わなくてもいいのでは。
 
10月「坂」  熊本市 松山 浩一
兵士らの夢も涙も見守りけむ聯隊坂(れんたいさか)の名今なほ残る
(評)今も地名として残る「聯隊坂」に上の句「兵士らの夢も涙も見守りけむ」と自分の気持ちを籠めて詠んでいる。その坂を通るたびに人々は哀しみを呼び起こすのであろう。平和な時代の今、当時を耐えた体験を詠み継いで行きたいと思った。
 
11月「時計」 宮崎市 和田 洋子
使うなき夫の遺愛の腕時計今朝は窓辺に光当てをり                 
(評)上の句から夫ぎみは亡くなられているのだ。亡き夫の肌身離さずにつけていた腕時計は、作者にとって替え難い形見なのだろう。現代の電波時計に光を当てながら或る日或るときを偲ぶよすがになっていて思いの籠る一首である。
 
12月「箱」 宮崎市 小松 京子
掛軸の箱書きに見る父の文字細き筆にて墨にじみをり
(評) 掛け軸を取り換えて正月を迎える・・それは父である主の役目だったという風習 は最近では少なくなったのではと思うが、懐かしい記憶を呼び覚ましてくれる一首である。その掛け軸の文字は父の字であるという作者の感動を無駄なく心込めて詠んでいる。

※平成30年優秀作品(「天」のみ)

1月「灯」 熊本市 松山 浩一
新春の粧いせむと取り替えしLED(エルイーディー)灯(とう)のひときわ眩し
(評)部屋の灯りを進化した電灯のエルイーディにした作者である。一首を通し灯りの実感を新鮮に詠いあげている。上の句にお正月を意識して「部屋を粧い」と使ったセンスも、新しいLED灯も効果的に表現していて作者の感動も伝わってくる。
 
2月「寒」 宮崎市 須田 明典
本殿を吹き抜ける風いよよ寒く太鼓打つ手も冷たく凍ゆ
(評) 内容から作者がわかる作品であるが、一首が引き締まって詠まれており読者にも
厳かな雰囲気がよく伝わる佳作である。上の句と下の句のつながりもうまく、太鼓の音に打ち手の状況が見えるような仕事詠である。
 
3月「たんぽぽ•蒲公英」 宮崎市 渡辺 正子
思いきり息吹きかけしタンポポの絮光りつつ吾に迫り来
(評) 見つけたタンポポは早くも白い絮になっていて、息を吹きかけたのだろう。その白くまんまるい種が飛び散った場面。少女の気持ちになった作者なのか、いらいらを吹き飛ばしたかったのか解らないが、風に乗って迫ってきた種に吾に返った作者。 
 
4月「雲」 宮崎市 鐘ヶ江 和貴
一本の飛行機雲は音もなく夕やけ空に広がりて行く
(評)一読して作者の立ち仰ぐ飛行機雲が見えてくる作品で、その飛行機雲は夕焼けに染まり西へと美しい白線を描いているのだろう。時折見かける景かも知れないが、感動して見上げた景を素直に静かな叙景歌に残すことが出来た。
 
5月「草」 宮崎市 黒木 和貴子
夫癒えしよろこびに巡るわが庭の樹木花草ひとしく眩し
(評)家に起こる悲喜こもごもがあってのわが一生であるが、作者の心配事のひとつだった夫の病が癒えたことで胸の痞えが下りた思いだったと思う。変わりない庭も眩しいほどに胸を熱くしている作者であり、下の句の表現に感性を思った。
 
6月「梅」 宮崎市 小松 京子
亡き夫の植ゑにし梅のたわわなり香る青き実声かけて採る
(評)父母だったり、夫だったり・・木々に繋がる思い出は多い。これは今は亡き夫の意思で植えた梅の木である。年年二人で花を愛で、実を収穫した歴史もあり、梅の木
にたわわな実を収穫しながら、「お父さん!今年も生りましたよ」と偲ぶ作者だ。
 
7月「夏休」 宮崎市 黒岩 昭彦
体操を終へたる子らをねぎらひてスタンプを押す夏休みの朝
(評)夏休みの朝々をラジオ体操に参加した児童たちにスタンプを押した体験を回想しての作品と思ったが、「スタンプを押す」は過去形ではないので、地区役員として今
もお世話されているのかと思った。過去だったら「スタンプ押しし」としたい。
 
8月「波」 宮崎市 黒木 和貴子
満ち潮に流れ波立つ大淀川岸を打ちつつ遡りくる
(評)満ち潮の時間帯の大淀川・・観察眼を高めて立ち尽くす作者である。一首にリズムよく表現されていて、そのダイナミックな流れが読者にも見えるように伝わって来る。「流れ波立つ」は「川面波立つ」の方が落ち着くが、「川」の重複を避けたのだろう。
 
9月「橋」 宮崎市 鐘ヶ江 和貴
登り坂に続く大橋ペダル踏み渡り終へたり傘寿の我は
(評)大方の橋は道路よりも上りになっているが、傘寿は八十歳であるから、八十歳を
越えたけれど、今日は自転車でこの大橋を渡り終えることが出来たという自分の
喜びが、上手く一首に纏まっている。結句の強調が体力の自信を表せた。
 
10月「コスモス」 宮崎市 渡辺 正子
父母の逝きて久しも古里の庭に咲き継ぐ白きコスモス
(評)「逝ってからもう随分になるなあ」と感慨にふけり回想して立つ上の句は実家の庭。父母の居ない実家に帰っての感情が凝縮されていて同じ思いを共感できる。母が植えた頃のコスモスが継ぎ残り.寂しく咲いている。「白きコスモス」が良い
 
11月「紅葉」 熊本市 松山 浩一
紅葉はライトアップで賑わえり)大地震(おおなゐ)の傷癒えぬ城址に
              
(評)下の句から地震に痛ましい災害を被った熊本城の紅葉を詠んだ作品と解した。下の句に作者の無念さも、復興を願う思いも籠められた一首となった。外観が蘇ったこともテレビで拝見したものの、その技術も大変だと思った。自然の生命力で廻りの楓などが赤く紅葉して、見守る人々の心を癒してくれているのだろう。
 
 12月「暮」 宮崎市 須田 明典
正月の破魔矢を積みしトラックの到着したる暮慌ただし
(評)初詣を終えて買い求める年年の破魔矢ですが、その破魔矢が神宮社務所に届くという年末の珍しい情景を想像してしまいました。「積みたる」「到着したる」の「たる」の重複が気になるので「積みし」と直した。特殊性、自分に引き付けた題材が良い。

※平成29年優秀作品(「天」のみ)

1月「餅」 宮崎市 鐘ヶ江和貴
年毎に孫らに杵を持たせては餅つきくれし父を思へり
 (評)年の瀬になると、一昔前のお正月風景や、元気だった父母に思いが返ります。孫たちを集めての餅つき行事が甦る作者。父の統率力や杵の音が見えるようです。最近は何につけても時代の変化が早く、失われて行くものが多いと思うのですが・・
 
2月「椿」 宮崎市 黒木ふさを
光射す由布岳仰ぐ露天風呂腕にぽたりと椿落ちくる
(評)「光射す」が強すぎる感があるが、由布岳を仰ぎながら露天風呂に旅を楽しむ作者の抒情豊かな一齣が表現されている。頭上を覆う椿だろう。花が不意に落ちてきた瞬時の驚きは自分だけの幸だったに違いない。「露天風呂に」の「に」はなくてもいい・・
 
3月「卒業」 宮崎市 猪俣 文惠
何ひとつわれに言ふなく逝きし夫心残りも卒業するごと
(評)多分長くなった介護の中で作者は回復を願い、手を尽くして来られた日々だったのに、何も言い遺さずに逝ってしまったという嘆きが読者に切なく伝わってくる。夫は卒業するかの様に逝ってしまった・・という下の句に心情を上手く纏めた。
 
4月「新」 宮崎市 須田 明典
参道に居並ぶ新たな灯籠の一斉点灯に歓声上がる
(評)神武天皇崩御二千六百年記念行事のひとつとして進められて来た灯籠五十基が設置されて、表参道により相応しい景になった。四月二日の竣工祭の感動が簡潔に纏めていて祈念する一首である。神宮参拝のときに出会って下さい。
 
5月「熊本城」 小林市 前満 英子
熊本城築四百年の名城もよみ返る日の何時の日なるか
(評) 歴史を語り伝えて来た熊本城。隣県の城として親しみの深かっただけに地震の被
害に遭った姿は我がことのように無念であった。二十年先の復元と聞けば会うことも叶わない。作者は気持ちを素直に一首に纏めた。結句は「何時の日ならむ」でも・
 
6月「新聞」 宮崎市 小松 京子
今日もまた病み伏す夫に新聞を読み聞かせをり朝のひととき
(評)作者には朝々の習慣になっているのかも知れませんが、長い闘病生活のご主人様への向き合い方に「何とお優しい!」と思ってしまいました。思考力や会話が健全なご主人のご快癒をおりしながら、お幸せなお二人のひと時が見えるような思いで読みました。
 
7月「空」 熊本市 福田美恵子
青空に虹を描きてインパルス城と街とを励ます如く
(評) シンボルの熊本城が地震の大災害に見舞われて四年、途方も無い復興が始まっては
いるが、おそらく復興祭としての航空祭だったのでは・・・下の句に作者の思いが簡潔に述べられている。インパルスの理解度が気になるが、航空祭にインパルスとルビをふるのも如何か?私は新田原で感激して見たことを思い出した。
 
8月「稲穂」 宮崎市 黒木和貴子
花市にガーベラを運ぶ朝の道黄金の稲穂まぶしみて行く
(評)花壇に植えると難しいガーベラ。作者は花卉生産者なのだろう。朝々の花卉市場にガーベラを出荷している。早朝の規則に追われる仕事に関わりながら、市場への道沿いに広がる稲の生長も観察して元気を貰っているのだと思う。素直に詠んでいて情景が・・作者の行動が見えてきて清清しい一首。
 
9月「台風」 南九州市 赤坂よし子
つめ跡をのこしすぎ去りし台風の悲しみ知るや今宵の月よ
原作は「台風は」で初句が始まっていて上の句が台風の説明になってしまったので動かした。下の句「悲しみ知るや今宵の月よ」に作者の思いが伝わり、捨てがたい。台風が主語だから三句に据えて詠むべきでしょう。「今宵の月よ」が詩情をそそる。
 
10月「公孫樹・銀杏」 宮崎市 黒木和貴子
話好きの媼と並びバスを待つ銀杏の下に日差しを避けて
初句「話好きの」がいささか俗っぽいのが気になるが、媼二人が銀杏の下にバスを待ちながら話が尽きない様子がうまく自然に詠われている。調子よい下の句に情景がよく窺われる作品になっている。
 
11月「紅」 宮崎市 鐘ヶ江和貴
紅(くれない)に染まる夕空はてもなく初冠雪の浅間をつつむ
夕焼けの空はくれないに染まり、遥か向こうに初冠雪の浅間が望める風景が一首から一枚の絵のように読者にも伝わって来る旅の歌である。表現に無駄がなく、うまく纏めている。私も旅先で浅間山をバスの窓より指差し眺めた記憶が甦った。
 
12月「師走」 宮崎市 中光 郁惠 
消防車「火の用心」の鉦ならし師走の街の夜更けを行きぬ                                                                      
日暮れが早くなり、冬の季節になると「日の用心」の呼びかけが始まる。市街地では効果がないだろうが、誰もが記憶に懐かしく,火災予防の基になっていて、消防士にはご苦労様と申し上げたい。無駄なく詠み、「火の用心」を訴えている。

※平成28年優秀作品(「天」のみ)

1月 「川」  熊本市 松山 浩一
ただただにその川の面に触れたしとドナウ上流の岸に立ちたり  
(評)「美しき碧きドナウ」のメロディが甦る。ヨーロッパへの海外旅行での感動の場面 が伝わる作品である。黒海へ注ぐドナウ川。上流と言えばドイツあたりだろうか?作者は流れに触れたのだろうか?・・など想像が膨らむが、初句の「ただただに」も 結句の「岸に立ちたり」も感動があふれている。初句は「唯ただに」がいいかも。
 
2月 「畑」  宮崎市 福﨑 公子
夫逝きて少しばかりの畑さへ手に余る日の遠からず来む    
(評)下の句「手に余る日の遠からず来む」と推量的な表現であるが、心の裡を思い巡らす作者の心情が思われる。自らも一年また一年と老いて、庭畑の仕事も出来なくなるに違いない。誰にでも共感される一首である。
 
3月 「菜」  宮崎市 黒木和貴子
本棚に父の形見の『菜根譚』のこる書き込み繰り返し読む  
(評)父が愛読し、人生の指針とした『菜根譚』を本棚から取り出して読むという作者。父の生きざまに近づきたいと父の書き込みにも在りし日を偲ぶ心情が篤く伝わってくる作品である。私には『菜根譚』の知識が無く辞書を引いたところ、儒教の思想に禅学を交えた処世哲学書とあり、難しいが独自の世界観を持つ作者と思った。
 
4月 「道」  宮崎市 黒木和貴子
少女期を過ごしし町のトロントロンひさびさに来て旧道歩む
(評)川南町の旧道に残る「トロントロン」という地名・・バス停にも残るがカタカナの地名はどんな意味を持つのかと思うが、旧道でも町の中心部である。少女期に過ごした場所が作者にも読者にもファンタジックに聞こえて生かされた。久々に旧道を歩いて、懐古したであろうが、主観語を使わずに懐かしさが出せたと思う。
 
5月「竹」 宮崎市 黒木和貴子
竹生島を朗らに謡ふ父の声残れるテープ目を閉ぢて聴く
(評)琵琶湖の竹生島は能や謡の長唄として知られる。生前お父様が得意な謡曲だったのだろう。テープに残る父の声に思慕をつのらせる作者である。内容もよく上手く纏めている。竹生島には「」があった方がいいかもしれない。
 
6月「茶」 熊本市    松山 浩一
折節に母の愛でゐし抹茶碗今なほ温し我が両の掌(て)に
(評)母が亡くなって幾年が経ったのだろう・・在りし日の母が大事にしていた抹茶茶碗で新茶を頂いているのだろう。私はこの茶碗を持つたびに母を偲ぶのです・・という思いがしみじみと伝わって来る。
 
7月「船・舟」 宮崎市  福﨑 公子
帆をおろし岸壁に憩ふ帆船か港まつりの主役を終へて
(評)帆をあげた姿の美しい日本丸の寄港を想像して味わった。「港まつりの主役を終へて」に港の夏の行事が読みとれて風景が見えて来るような一首である。原作「帆船は」を「帆船か」と添削した。助詞一つで散文的になってしまう。
 
8月「海」 宮崎市  黒木和貴子
四方(よも)の海波も穏しき青島に婚礼の列橋渡り来る
(評)青島の弥生橋で作者は結婚式の列に遭遇したのだろうか。それともその列の一人かもしれない。貴重な出会いを喜びとして一首に詠んだのだろう。上の句から日向灘にひらける当日の海は晴れ渡り波穏やかで、この先の二人の門出にふさわしい作者の祈りを込めた一首である。単純化された中に多くを語っていていいと思う。
 
9月「実」 宮崎市 鐘ヶ江和貴
庭草にまじりて育つ茄子ピーマン日照りの夏をけなげに実る
(評)声にして読むと実に素直にリズムよく纏めている。今年の夏は雨も夕立すら望めず連日の酷暑、手入れも出来ずに見守るのみの作者であり共鳴した。「茄子ピーマン」を基本の三句に据えたのが生きた。結句には感謝といたわりの気持ちがでている。
 
10月「霧」 宮崎市 黒木和貴子
いちめんに白ひと色のけさの庭母逝きし日の霧思ひ出づ
(評)母が亡くなった日は乳白色の霧が視界を閉ざしていた。忘れられない記憶が甦る今朝の庭だという作者。今朝の霧に遠い日を重ねて母の面影を追ったのだろう。私自身も母の通夜に視界を閉ざした夜明け、霧の不思議な景を思い出していた。
 
11月「魚」 宮崎市 福﨑 公子
落ち香魚(あゆ)を捕らむと夫が作りたる投網張網小屋に残れり
(評)「小屋にそのまま」・・だからご主人がお元気だった頃落ち鮎を捕ろうと夢中に作った鮎捕りの網が誰も手付かずのままあるというのだろう。兼題に結びついて思いの籠った作品が生まれた。結句は終止形にしたいと思い「残れり」と添削した。
 
12月「鈴」 宮崎市 野邉 純子
高千穂の夜神楽を舞ふ祝者どんの打ち振る鈴の音リズミカルなり
(評) 受け継がれる高千穂の夜神楽を堪能した雰囲気が簡潔に無駄なく詠み込まれていて「祝者どん」「打ち振る鈴」などの神楽ことばが一首の格調を高めて生かされた。冬の宮崎の象徴的な祭礼であるが、遠方の夜の行事だけになかなか観に行けない。
献詠入選者の作品を纏めた歌集『?(かなしき)』(第1~第4集)も発刊致しております。
?(かなしき)は「かなとこ」とも云い、鋳造やハ板金作業を行う際、被加工物をのせて作業をする鋳鋼または鋳鉄製の台のことで、この歌会が単なる献詠の範疇にとどまることなく、歌壇に通用する立派な歌を作るための台になる意味から宮崎神宮黒岩龍彦前宮司から命名と、題字をいただいたものであります。第四集の発刊に際し、改めて黒岩宮司様に表紙の題字をご揮毫いただきました。
 
 
優れた作品を表彰いたしております。表彰式後の記念撮影。
(平成21年7月16日)
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