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別宮・摂末社

別宮(べつぐう) 狭野(さの)神社

【ご祭神】神武天皇

西諸県郡高原町狭野にご鎮座になり、孝昭天皇(第五代)の御代、神武天皇ご誕生の地に創建されたと伝えられています。明治6年県社に列せられました。明治40年に宮﨑宮(当時の呼称)の旧社殿を移築。同年5月に遷座祭、竣工祭が斎行されました。大正4年6月には宮﨑神宮の別宮に指定されました。終戦後は事情により独立した神社となりましたが、宮﨑神宮別宮の名称はそのまま残されています。

摂社(せっしゃ) 皇宮(こうぐう)神社

【ご祭神】神日本磐余彦天皇(神武天皇)

【相  殿】手研耳命(たぎしみみのみこと)(御子)
     吾平津姫命(あひらつひめのみこと)(御妃)
     渟名川耳命(ぬなかわみみのみこと)(御子)
 
【主な祭典】
    旧正月    14日 破魔矢祭  
     2月    18日 祈年祭
     7月24/25日 夏祭
      11月       24日 新嘗祭
      12月   31日 歳末祭
  
神武天皇宮崎の宮の皇居跡と顕彰されているところで、宮﨑神宮の西北600米の小高い丘に鎮座します。
仰げば西方遥か高千穂の峰を望み、目を下に転ずれば大淀川の清流延々として帯の如く市街を縫い、実に皇居の跡に相応しい聖地であります。
神武天皇が大和地方にご出発になる45歳まで当地に宮居されたという事です。
ご創建は不詳ですが、旧社殿は弘化4年(1847年)6月藩費を以て再建され、明治10年3月21日宮﨑神宮摂社に列せられました。
昭和10年11月14日の特別大演習の折には、昭和天皇のご巡覧があり、昭和15年には、紀元2600年の記念事業の一環として、宮崎県奉祝会により皇宮発祥之地碑が建立されて顕彰されました。
(※皇軍発祥之地碑 昭和16年11月20日起工、昭和17年末頃完成)
現在の社殿は伊勢神宮の第60回神宮式年遷宮(昭和48年)後、古殿舎撤下材(外宮外幣殿)を、昭和51年に改築したものです。
      本殿前鳥居
      正面参道入口
      旧社殿跡地
        旧社殿
        現社殿
    「皇軍発祥之地」碑

末社(まっしゃ) 五所稲荷(ごしょいなり)神社

【ご祭神】保食神(うけもちのかみ)
     塩土翁(しおつちのおきな)
     道臣命(みちのおみのみこと)
     椎根津彦命(しいねつひこのみこと)
     大久米命(おおくめのみこと)(神武天皇の功臣)
   明治4年11月には、
     稲荷神社(下北方田ノ上鎮座)
     地主神社(花ヶ島鎮座)
     稲荷秋葉神社(下北方鎮座)
     水分神社(境内鎮座)   
     事代主神社(境内鎮座)の5社を相殿に合祀。
 
【主な祭典】
     2月 18日 祈年祭
    旧初午  初午祭
     8月3/4日   夏祭
   11月 24日 新嘗祭
   12月 31日 歳末祭
 
 
当神宮の境内神池(しんち)横に鎮座し、古くより農業、産業、食物、又商売繁昌、諸業繁栄の守護神として、多くの人々より崇敬されてきました。
 御創建年代は不詳ですが、社殿前に文政10年9月に奉納された手水鉢が残っていることから、これよりさらに遡ることが出来ると思われます。明治11年2月に末社に列せられました。
 かつては、宮﨑神宮本殿の東側に鎮座していました、明治32年より同40年までの本宮社殿御造営の為に現在地に遷座しています。

宮﨑神宮所有境内地

宮﨑神宮  76,313坪(約25ヘクタール)
 
皇宮神社  3,203坪(約
 1ヘクタール)
 
境外地   1,200坪
 
御料林   西都市銀鏡に約80ヘクタール
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