別宮・摂末社
別宮(べつぐう) 狭野(さの)神社
摂社(せっしゃ) 皇宮(こうぐう)神社
【ご祭神】神日本磐余彦天皇(神武天皇)
【相 殿】手研耳命(たぎしみみのみこと)(御子)
吾平津姫命(あひらつひめのみこと)(御妃)
渟名川耳命(ぬなかわみみのみこと)(御子)
【主な祭典】
旧正月 14日 破魔矢祭
2月 18日 祈年祭
7月24/25日 夏祭
11月 24日 新嘗祭
12月 31日 歳末祭
神武天皇宮崎の宮の皇居跡と顕彰されているところで、宮﨑神宮の西北600米の小高い丘に鎮座します。
仰げば西方遥か高千穂の峰を望み、目を下に転ずれば大淀川の清流延々として帯の如く市街を縫い、実に皇居の跡に相応しい聖地であります。
神武天皇が大和地方にご出発になる45歳まで当地に宮居されたという事です。
神武天皇が大和地方にご出発になる45歳まで当地に宮居されたという事です。
ご創建は不詳ですが、旧社殿は弘化4年(1847年)6月藩費を以て再建され、明治10年3月21日宮﨑神宮摂社に列せられました。
昭和10年11月14日の特別大演習の折には、昭和天皇のご巡覧があり、昭和15年には、紀元2600年の記念事業の一環として、宮崎県奉祝会により皇宮発祥之地碑が建立されて顕彰されました。
(※皇軍発祥之地碑 昭和16年11月20日起工、昭和17年末頃完成)
現在の社殿は伊勢神宮の第60回神宮式年遷宮(昭和48年)後、古殿舎撤下材(外宮外幣殿)を、昭和51年に改築したものです。
末社(まっしゃ) 五所稲荷(ごしょいなり)神社
当神宮の境内神池(しんち)横に鎮座し、古くより農業、産業、食物、又商売繁昌、諸業繁栄の守護神として、多くの人々より崇敬されてきました。
御創建年代は不詳ですが、社殿前に文政10年9月に奉納された手水鉢が残っていることから、これよりさらに遡ることが出来ると思われます。明治11年2月に末社に列せられました。
かつては、宮﨑神宮本殿の東側に鎮座していました、明治32年より同40年までの本宮社殿御造営の為に現在地に遷座しています。
御創建年代は不詳ですが、社殿前に文政10年9月に奉納された手水鉢が残っていることから、これよりさらに遡ることが出来ると思われます。明治11年2月に末社に列せられました。
かつては、宮﨑神宮本殿の東側に鎮座していました、明治32年より同40年までの本宮社殿御造営の為に現在地に遷座しています。