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お知らせ

澁澤栄一と高木兼寛掛軸展開催のお知らせ
2021-07-14
竣工当時のご社殿
お参りにあはせてどうぞご拝観ください。
現在放映中のNHK大河ドラマ「晴天を衝け」の主人公である澁澤栄一氏と、当宮ご造営(明治40年)功労者である高木兼寛氏の当宮所蔵書を公開致します。

・主催 宮﨑神宮

・期間 令和3年7月15日~同年8月31日

・時間 午前9時~午後5時

・場所 宮﨑神宮社務所内貴賓室

・内容 両氏の掛軸二幅

・拝観料 無料

・備考
 以下は結婚式の都合により拝観をご遠慮いただきますので、ご承知おきください。
 ・7月24日 午前11時~午後1時
 ・7月31日 午後1時30分~午後2時30分
 ・8月7日 午後0時~午後1時
 ・8月28日 午前9時~午前9時30分
 
マスクの着用等、コロナウイルス感染症拡大防止対策にご協力ください。

高木兼寛先生と 「青天を衝け」の渋沢栄一 宮﨑神宮宮司 本部雅裕
 皆さまには、未だ終息をみせないコロナ禍のなか、何かとご不便な生活を続けてをられることと、衷心よりお見舞ひを申しあげます。

 先日私は、宮崎県立佐土原高等学校生徒に日向神話と宮﨑神宮についてお話をする機会を得ました。神話に登場する神々がいかに人間的で、そして現在の我々の生活にも身近な存在であるかを理解していただくやう話を進めました。

 また、授業で郷土の偉人高木兼寛先生にもふれましたが、それを聞いた先生と同郷で高岡町出身の生徒から、「先生が脚気の原因を発見したお医者さんとは知っていたが、宮﨑神宮を造った人とは知らなかった」との感想がよせられました。

 これが今の宮崎県民の平均的な意識であらうと存じますので、今回改めて高木兼寛翁のご偉業を振り返ってみます。

 先生は、今の宮崎市高岡町穆佐にお生まれになり、鹿児島で医学を学び、海軍省に仕官。のち英国セント・トーマス病院医学校に留学、抜群の成績で卒業してゐます。帰朝して、のちには大日本帝国海軍軍医総監に任じられます。因みに、当時の陸軍の軍医総監は森林太郎(作家名森鴎外)です。また翁は、我が国第一号の医学博士。明治天皇の侍医も務め、男爵の爵位を授けられました。最も知られてゐるのは、東京慈恵会医科大学の創立者であることでせう。

 当時の陸海軍では多くの兵士が脚気に悩まされてゐました。その原因についてドイツ医学の東大医学部卒を中心とした陸軍軍医は、「脚気病菌説」、伝染病だと主張してゐました。一方、イギリス医学に学んだ高木兼寛は、脚気は軍隊の米飯中心の食事にあるとして、麦飯も取り入れ、壮大な航海実験の結果、病因は栄養にあることを突き止めました。ビタミンBの欠乏です。この食事改良で海軍からは脚気がなくなり、米飯をやめない陸軍は、のちの日露戦争までこの病気で苦しむこととなります。

 さて高木翁は、郷土宮崎を、特に第一代神武天皇を祀る宮﨑宮(のちの宮﨑神宮)を、官幣大社としてもっと威厳のある立派な建物にしなければといふ願望があり、「神武天皇御降誕大祭会」を設立し、自ら幹事長の要職に就きます。明治天皇から強い信頼を得てゐた高木翁は、皇室からのありがたいご内帑金を受けます。

 また、各宮様方をはじめ、政財界から広く浄財を募ることになります。この会の中心人物のひとりが、今のNHK大河ドラマの主人公、渋沢栄一です。彼の癌の手術を執刀した高木は九歳年下でありましたが、先生と呼ばれて尊敬されてゐたといひます。かういふ次第で、渋沢栄一をこの会の監事に任じ、広く財界の募財に当たらせたものと思はれます。

 かくして明治四十年、高木兼寛翁のご尽力により今の御殿が完成しました。一一四年を経た今日、郷土の銘木杉材(神社建築の主流は檜材ですが)のご本殿以下神殿は、荘厳で堅固なたたずまひを保ってゐます。

 ここに改めて、高木翁のご偉業を称へ、ご遺徳をお偲び申しあげます。

参考文献
吉村昭著『白い航跡』
倉迫一朝著『病気を診ずして病人を診よー麦飯男爵高木兼寛の生涯』

※社報『養正』157号より転載
宮﨑神宮
〒880-0053
宮崎県宮崎市神宮2丁目4-1
TEL.0985-27-4004
FAX.0985-27-4030
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