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社務所物語
2012-05-22
去る5月19日午前10時30分より「儀式殿改築起工祭」を斎行しました。
当宮の儀式殿は、元々は明治41年11月24日に神武天皇御降誕大祭会より
社務所として寄付された建物です。
社務所として寄付された建物です。
昭和9年10月5日には、御東遷2600年記念と云う画期的な大祭が当時官幣大社で
あった宮崎神宮で、時の横山秀雄宮司以下神職によって盛大に斎行されました。
あった宮崎神宮で、時の横山秀雄宮司以下神職によって盛大に斎行されました。
その記念事業の一つとして社務所の新築があり、また祓舎の新築、東神苑の整備、
一ノ鳥居より表参道の改修による梛の並木の植え付け、神橋の奉納等があり社頭が
一新されました。
一ノ鳥居より表参道の改修による梛の並木の植え付け、神橋の奉納等があり社頭が
一新されました。
また県でも、本館の新築、橘橋の架け替え等記念事業が行われ、宮崎市の様相が
一変する記念の一年であったそうです。
一変する記念の一年であったそうです。
現在も10月5日に斎行する御東遷記念祭は、この時が始まりになります。
その後の50年の間には毎年襲来する台風や、過る大東亜戦争の末期には度重なる
爆撃や敵機による機銃掃射に遇い、社務所の損傷がはげしくなっていたそうです。
その為、昭和58年10月18日に、現在の社務所が新築されました。(下の写真)
新築に伴い、以前の社務所の玄関から貴賓室の主要部分は宮崎県護国神社へ
無償で払い下げ、その社務所として移築され現在も使用されています。(下の写真)
昭和61年12月24日より、明治41年につくられた社務所を祈願殿として使用。
当時、祈願殿としては狭く、暗かったため、4本の鉄骨を入れ内部の不要な柱を
全部抜き取り神殿を備えたそうです。
当時、祈願殿としては狭く、暗かったため、4本の鉄骨を入れ内部の不要な柱を
全部抜き取り神殿を備えたそうです。
その後、平成20年に祈願殿より儀式殿へ改称し、現在に至ります。(下の写真)
これらのことは、以前の日誌や社報から知ったことです。
昭和58年の社報には「改築前の古い社務所について後日の為に記しておきたい」
と記されていました。
昭和58年の社報には「改築前の古い社務所について後日の為に記しておきたい」
と記されていました。
その後日が、約30年の年を経て今日やってきました。
どなたが記されたかは分かりませんが、とても参考になりました。
誠にありがとうございました。
どなたが記されたかは分かりませんが、とても参考になりました。
誠にありがとうございました。
ちなみに下の写真は、明治40年頃のものです。