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お・も・て・な・し
2013-09-08
今日のブログは、やっぱりこれですよね。
2020年のオリンピック開催地が東京に決定!
東京で開催されるのは昭和39年以来。
大変慶ばしいことです(^-^)
大変慶ばしいことです(^-^)
1964年開催の東京オリンピックと宮崎神宮。
なんと深いつながりがあるんです!
なんと深いつながりがあるんです!
(神武天皇論 宮崎神宮史より)
宮崎ではまず、明年にオリンピックを控えた昭和38年10月12日、県が主催しての
東京オリンピック前年祭をおこなった。
当日午後5時50分、前年祭の聖火が東京から鹿児島を経由して宮崎空港に到着。
ただちに聖火は宮崎神宮に迎えられ御神前に供えられた。
当日午後5時50分、前年祭の聖火が東京から鹿児島を経由して宮崎空港に到着。
ただちに聖火は宮崎神宮に迎えられ御神前に供えられた。
井上宮司が斎主となって祭典を奉仕、県知事(代理)、坂本県議会議長、有馬宮崎市長をはじめ関係者150名が参列、メッセージや花束の贈呈、宮司挨拶などがあり祭典が終了、引き続き徴古館でオリンピック五輪踊りなどが披露されたりした。なお聖火は一晩、貴賓室に厳重に保管されたあと、翌13日には延岡へと出発していった。
そしていよいよ昭和39年9月9日、第18回オリンピック用の聖火がギリシャ・アテネから宮崎にやって来た(国内リレー第2コース)。午前9時55分、ジェット機4機に護衛されたYS11が多くの市民に迎えられ聖火を積んで宮崎空港に到着。聖火は安全灯から聖火皿へ、さらにトーチへと点火され、第1走者の手へ。走者は高々と聖火を掲げると日の丸の小旗に送られて元気よく走った。そして聖火は沿道をリレーしながら11時すぎ、宮崎神宮に到着した。
宮崎神宮ではただちに安全祈願祭を斎行、神宮の巫女と、この日の為に練習をしてきた宮崎商業高校と宮崎女子高校の女性とら8人によって浦安の舞が奉納された。聖火は夕方まで神前に安置され、篝火奉仕のボーイスカウトによって見守られ、暮色の濃くなった午後7時25分、宮崎神宮から聖火リレーの起点とされている平和台(八紘台)に向かい、同所に用意された聖火台に点火された。聖火の前では神社音楽協会の多静子女史ら3人による榊の舞が奉納されたりしたが、かがり火にうかぶ幽玄な舞や、地元高千穂夜神楽の奉納などは、まるで神武天皇の時代に逆戻りしたのかと錯覚を感じさせるような雰囲気であった。
なお聖火は翌11日、2,000人が参加しての盛大な式典のあと一路本土縦断して
東京へ向かうべく元気に出発していった。
東京へ向かうべく元気に出発していった。
と、記されています。
オリンピックは開催される都市名が記載されますが、その国を挙げての行事である
ことは間違いありません。
世界中より多くの方が日本にお越しになり、その効果による経済をはじめとした多方面
での発展に期待することはもちろんのことです。
しかし本当に大切なことは、
大好きな滝川クリステルさんがスピーチでおっしゃった
「お・も・て・な・し」
古来より日本人が大切にしてきた”心”を今一度見つめ直す機会になればと思います。