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祈ること
2014-09-28
長野県と岐阜県にまたがる御嶽山。
噴火より3日目を迎えました。
被害に遭われた方へお見舞い申し上げますとともに、未だ行方不明の方の一刻も
早い救出を心よりご祈念申し上げるばかりです。
テレビや新聞で噴火時や噴火後の様子を目にします。
紅葉に覆われる季節ですが、火山灰、火砕流の影響により灰色と化していました。
その中で山頂に鎮座される神社に目が止まりました。
全国には多数の神社が山頂に鎮座されますが、それは山々がもたらす恩恵に
感謝し、安寧を祈るためだと考えます。
しかしながら日々の祈りがあっても、今回のような噴火をはじめ様々な災害は発生
するもので、悲観的に言えば”祈りは絶対ではない”という事に気付かされます。
では、何故に人々は祈るのか?
古来、為す術のない自然災害や人の生死に対し与えられたのは”祈り”のみであり、
全身全霊で祈るその意志によって守られることが多いからではないでしょうか。
「神は人の敬によって威を増し、人は神の徳によて運を添ふ」
と伝わるように、先人の切実な祈りの上に現在の我々があるのです。
そしてその祈りの中心となるべきは、やはり神社であり祭だと考えます。
宮崎県内に653社(神社本庁登録神社)、全国津々浦々には80,000を数える
神社が鎮座される意味を、時代が変わり如何に文明が発達しようとも、我々は決して
忘れてはなりません。
地域と共にある神社、そこで奉仕させていただく神職の責務を改めて痛感致しました。
最近のパワースポット、神話ブームの影響か、○○にご利益がある神社はどこですか?
等の質問を受けることがあります。
もちろん神社にお参りするきっかけとなるのでしょうが、もっと広い意味で”祈り”という
ものを考えていてだければと思います。
ご利益、パワー云々ではなく、まずはお住まいの地域の氏神さまにお参りすることが
何よりも大切だと考えます。
はやいもので朝晩の冷え込みを徐々に感じる季節となりました。
秋祭、また11月には七五三詣と各お社の境内が賑やかになることと思われます。
お祭り本来の意義を忘れることなく、氏神さまのお参りいただきまして、
祈りをささげていただければと思います。