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五穀豊穣を祈って
2015-02-17
本日、午前10時より祈年祭(きねんさい)を斎行致しました。
早朝、参拝者よりこのような質問が。
「今日は何の祭りな?」
「きねんさいです。」
「何の”記念”な?」
「”祈年”です。」
そもそも祈年祭とは???
『神武さま』より
祈年祭はトシゴイノミマツリとも訓み、トシは稲の意で、すなわち稲種を蒔く季節の初めに当たり、その年の五穀豊穣と国家国民の弥栄とを神々に祈る祭で、秋の新嘗祭と相呼応する重要な祭である。
その起源は明らかでないが、遠く農耕生活が始まると共に行われてきたと考えられる。『古語拾遺』には、神代の昔大地主神の作られた田の苗を御歳神がたたって枯れさせようとした時、大地主神が白馬、白猪などを供えて、御歳神を和めようと祀ったので苗は再生した、とある。
日本書紀の崇神天皇の詔に「農は天下の大本なり。民の恃(たの)みて以て生くる所なり」とあり、農業は、わが国の産業の基幹であった。だから、古来から農民が最も大切な階級として重んぜられたことは、山部(やまべ)(狩猟を業とする部族)や海部(あまべ)(漁業を職とする部族)に対し、農業部族を意味する田部(たべ)という語が、すべての国民を意味する語源となったこと、田族(たから)(田部の人々の意)が大御宝(おおみたから)となって総称を意味するに至ったことでも知られるのである。(祝詞では国民をおおみたからと読む)
祈年祭の祝詞のなかに「農業(たつくりのわざに)に労(いたつ)き務(しま)り励む諸人らが手肱(たなひじ)に水泡(みなわ)掻垂(かき)り向股(むかもも)に泥(ひじ)掻寄せて取作らむ」とあるが、まことに農業に勤しむ百姓のさまを表現して適切であると感心させられる。「手肱に水泡掻垂り向股に泥掻寄せて」との表現はまさしく田の草をとり、そして田の土を掻き混ぜることによって、太陽の光を稲の根に滲み込ませるのだった。
ところで建国の神話では、高天原の神々が皇孫の稲の穂をことよさしされ、これを植えて、天上でしておられたそのままを、地上の暮らしとするならば、天上の風儀のままの地上の国が出来ると、約束されたのであった。この約束が日本の建国の由来で、天皇は代々この神約を実行される中心であった。だから我が国の天皇は代々を通じてつねに一つであり、すべて「皇孫(すめみま)」であると言うことになる。この神の与え給うた種が、麦でなく米であるという事、又暮らしの風儀が狩猟ではなく、牧畜でもなく、水田農業であることが国柄の重大事であると思う。
天上の稲穂を、天神から賜ったこの稲穂を、地上に植えるなら、天上の暮らしがそのまま地上に実現できる。皇孫の使命は、それを自らも行い、また地上のひとびとに教えることだと、天神は申された。神が地上に降りるということは、天神の神々の生活を地上に実現することであった。米作りによって実現することであった。わが国の信仰では、地上の生活を簡単に見限って、天上へ上るなどということはあり得ない考えだった。だから、米の暮らしの結果が、秋の祭り即ち新嘗祭として斎行されるのである。
かくて、政治と祭りと暮らしは、一体であるという観念が生まれてくる。米を作るということが、仕組みの上では政治であり、終局は祭りであり、全体の暮らしであったからである。
昔の人は、神様、殊に農業の神様は、年中、神社に鎮まって居られるものとは考えないで、春の始めに地上に降りられ、秋の収穫が終わると本つ御座(みくら)に帰られる、と信じていた如くである。海の神は高山の奥に鎮座りまし、水は、常に天と地の間を上下循環していると、信じたのであるが、これが日本神話の大きな思想である。
だから「わが民族の伝統には、日は満ち欠けはするが、失われることはない。逝く水はゆきて帰らぬが絶ゆることはないという無常と永遠とを、一つのものの二面とする論理が昔から存在した」と保田与重郎氏は云い、「日本の時間論は循環の思想だ」と、いわれた。
米作りということは、循環の理の根源となる水に身をゆだねるもので、おおよそ循環の理にもっともよくかなうものだから、必ず変動なく子々孫々に受け継がれて、一貫するであろうと考えられた。そして、この観念が、皇位の天壌無窮、万世一系の思想としてあらわれたものであると断言できるのである。
「米作りは我が国の基」といわれる所以がお分かりいただけたでしょうか?
また、直会にて農業関係者がご挨拶をされました。
その中で「農家の現状をもっと知って欲しい」との言葉がございました。
確かに農業が大切なことは重々承知していますが、多くの人は現場の事を
ほぼ知らないのが現状だと思います。
神職の本分は祭り、祈ること、農家の本分は作物を作ること。
その現状をお互いが今以上に知り、理解しあい、一つとなることで、
本来あるべき祭りの姿に近づけるのではないでしょうか。
最後になりますが、関係各位には大変お忙しい中にも拘わりませず
ご参列を賜り誠にありがとうございました。
五穀の豊穣はもとより、各者益々の弥栄を心よりご祈年申し上げます。