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神武の杜から③慰霊
2015-03-21
社報「養正」144号(平成27年1月1日発刊)より
私は昭和四十六年航空自衛隊在職中に神職の免状を取り、退職後は宮崎県神社庁に奉職、隣に県護国神社があるので、時には自ら進んで慰霊祭に奉仕している。
『陸軍航空の鎮魂』の中に収められている「(雷撃)の沖縄、サイパン戦闘」という記事の一文だ。新田原飛行場の特攻隊について調べていた際に、偶然見つけたのである。
神社庁に問い合わせ、この記事の筆者が高橋猛広瀬神社宮司であることが判明した。高橋宮司は明治四十四年佐土原に生まれ、熊本陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校を昭和七年に卒業している。そして、同十九年三月二十八日付で「飛行第七戦隊長」に就任した。
ところで飛行第七戦隊とは、大日本帝国陸軍の飛行戦隊の一つで、通称号は靖第二一二〇二部隊である。その任務とするところは航空作戦による重爆であった。
戦歴については、同十九年十月には比島沖航空戦に従軍し、僅か四機で巡洋艦一隻を轟沈させるなどの戦果も挙げたという。特攻隊生みの親のお大西瀧治郎中将に「部下と一ぱいやれ」と金一封も戴いている。隊員は三百名いたが、食糧事情の悪化とマラリアの流行によって士気は旺盛でなかったが、それを隊長として見事立て直しての武勲であった。しかしながら戦況は日に日に悪化の一途をたどったのだ。
高橋小佐は戦時下を生き抜いて、戦後は自衛隊に入隊した。そして神職資格を取って慰霊祭にも奉仕したという。「これ以上の幸せはないと心から満足している」とも述べ、残された日本人の務めとして慰霊出来ることに感謝の想いを綴るのであった。
戦争を体験した国民の大半は幽明境を異にして、残された従軍経験者も殆どが九十歳を超えている。戦争記憶の風化が叫ばれている今日だからこそ、改めて慰霊の気持ちを強く持ちたい。
時恰も終戦七十年の年である。
(A・K)
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